ポストモダン

均質化の波

均質化の波は望むと望まざるとに拘わらず、好むと好まざるとに拘わらず遅かれ早かれ押し寄せる。 自由主義、個人主義、民主主義を標榜する限り、近代文明は理念迄も均質化しようとする。 近代文明の仕組を理解しないで、個に収斂する術を知らない人間は群れたがりお祭り騒ぎをしたがる。 収斂を知らないと、情報に踊らされて頭の中が分裂してしまい現実が見つめられずバーチャル・リアリティーの世界で生きてしまうのかも知れない。 これは現実から逃避してコンピューター・ゲームの中に入り込みシミュレーション・ゲームに興じる若者に既に兆候が現れているとも言える。 危機はもうそこ迄迫っているのである。 真のモダンを理解しない儘ポスト・モダンを考える事自体無理があるのである。 筆者がポスト・モダンのエートスを求めてと題して始めた考察は、西洋的ヒューマニズムに根ざした科学の発達、東洋的ナチュラリズムに根ざした日本に於ける機械文明の驚異的な発展、そこに東西の接点を見つけようとする試みであるが、その為には先ず近代文明の仕組を理解する必要がある事を図らずも導き出したのである。 識者の間で持続可能な文明或いは生き残り可能な文明についてしきりに論議され、エコロジー的な観点からヒューマニズムとナチュラリズムのハーモニズム的な文明こそポスト・モダンの文明であるというような事が言われているが、日本人が近代文明として理解しているのは近代文明のマテリアリズム的側面であり、ヒューマニズム的側面についてはからきし疎いままなのである。

「和魂洋才」によりナチュラリズムに基づく文化と、ヒューマニズムに基づく文明の一側面を結合させる事により、経済的な発展を実現すると裏腹に日本人は、心と身体のバランスを欠いてしまったまま二十一世紀を迎えようとしている。

ポスト・モダンは、文化と文明の結合から融合を目指す事が日本人に課せられた大きな課題であり、それには近代文明のヒューマニズム的側面を今一度学び直す事が必須なのである。

近代に至る要素に宗教が重要な役割を担っていた事は理解出来るし今迄の経過を説明する際に宗教の果たした役割を無視する事は当然不可能であるがポスト・モダンを語る時に魂の救いを宗教に求めるのは何故か時代逆行的な気がする事も事実なのである。 ともすれば近代文明が資源を枯渇させ、人間は曾ての様な自給自足の時代に逆戻りする事を余儀無くさせられるかの様な錯覚にすら陥るのである。 エコロジカルな生活を余儀無くされるのと自発的に循環型社会を作り上げるのではそこには大きな違いがある。 循環型社会はあく迄も近代文明の下に創出されるものなのである。 自然との共生を謳ってハーモニズムを提唱するにしろ先ず近代そのものを理解する必要性が消える訳ではなく、モダンを素通りして一足飛びにポスト・モダンに突入出来る訳ではない。

少なくとも「生き残り可能な文明」 の下では、この考え方に基づく「ハーモニズム」が必要になって来るに違いない。 が同時に二十一世紀は「個」の世紀であると筆者は考えている。

従って、沖縄のシャーマニズムを取り入れられる訳でもないのであるから、一人一人がシャーマンになれる位に直覚に磨きをかけ、知性と感性のバランスをとり、理性をしっかり見つめる事である。

「環境破壊が深刻化するわが国で、自然と人間のコミュニケーションの問題は改めて深められなければならない。そして自然と人間とが真に交流する際には、人間が「オレ」を放棄してかかることが条件であるとのアニミスティックな、あるいはシャーマニスティックな考え方再評価される必要があろう。。それは決してトランスに入れということではない。」

宗教人類学者の佐々木宏幹氏は「神と仏と日本人」 の中でこう述べている。

然し乍ら筆者の主張したいのは、宗教の力で人間はここ迄文明を発達させる事が出来たのも事実であるが、いやしくも近代を俎上にのせる時帰結するのが常に宗教である事自体前近代的と言えるのではないかという事である。 これからの時代人間は益々宗教よりも哲学、哲学よりも科学という方向に行く傾向にあり、近代文明を一神論と多神論の二分法で解明する事は非常に無理があるとも思われる。 筆者の考える近代とは「自分」対「個人」の哲学なのであり、宗教ではないのである。

河合隼雄氏は前掲の「日本人の心のゆくえ」 の中で、「ネットワーク・アイデンティティー」と題してこう説明される。

「西洋近代をプロモートしてきた一神論的思考(もちろん、これは一神教と同じではない)に、日本人は縛られすぎたのではないか。このあたりで、多神論的な多様性に気づかねばならない。 このような状況を破っていくこととして、『ネットワーク・アイデンティティー』ということを考えている。私という人間は唯一の存在である。しかし、それを支え、根づかせるものとして『唯一』のものを探そうとしない。『私』をささえるものは『ネットワーク』である。というと、私が家族とか友人とかの関係によって支えられることか、と思う人があろうが、それは間違いである。それは最初に述べたように、その人との関係の喪失によってアイデンティティーが崩れ去るものである。ここでのべている『ネットワーク』は自分の心のなかにもつものである。 これまでに述べてきた宗教的な用語を用いるならば、『私』を支えるものを『存在者』では無く『存在』と考えるのだ。そして、『存在』はネットワークそのものだ。すべてが複雑にからみ合っている。それは多であって一である。〈中略〉

国際化が激しい時代に、日本人として生きつつ、国際社会の一員として他国の人々と対等に生き、世界に対して何らかの貢献をしようとするためには、ネットワーク・アイデンティティーということを見出す努力をするべきであると思う。」

河合氏が「存在」はネットワークそのものであると言う「存在」の追求が、全ての宗教を超えた近代文明の下における個の在り方であり、筆者が近代文明は個から全への循環するシステムであると言う所以でもある。 神道自らも「個の意識が、個の意識の集合体或いは総体としての宇宙からのフィードバックにより高まり、それが社会に反映する。」と言う様な、「ネオ・シャーマニズム」とも言うべき宇宙観を導きだし、ナチュラリズムとヒューマニズムのハーモニズムを先取りする位でないと、日本に於ける文化と文明の齟齬は取り払えないのである。 それともこれを近代に求めるのは無理であり、ポスト・モダンに期待する以外に無いのかも知れない。 均質化或いは共通点を見い出す、いずれも普遍性追求姿勢から生じる。 この言葉の違いを乗り越えるだけ取り上げても共通認識というものが如何に難しいかが判る。そもそも普遍性追求姿勢の欠如するところに共通認識を期待する方が間違っているとも言えるのである。先ずは近代を理解する事である。 筆者が図らずも括り出した近代のキーワードは、ロジック及びそれにより導き出されるインディヴィデュアルという概念であり、日本語では「論理」及び「個人」と訳されているものである。つまり「論」と「個」である。 その上、その「論」と「個」こそが日本人の一番不得手とするものだったのである。 前述の対談の中で、柳田國男が「私はどうも自己完成っていうものはそんなに究極の目的だと思ったことは一ぺんもないんです。」といみじくも言っている様に、「自己」或は「個人」という概念に対する認識のずれがその辺から始まっているのである。

更に柳田國男は「日本人の考え」についても下記の様に述べている。

「日本人の考え方については、民族学研究所で今問題になったいますが、直覚をどの位まで認めるかという問題と搦み合っております。東洋人全体の共通な点ですが非常に直覚が発達しているんです。日本人も特にこの直覚ということが発達しております。これをどれまで抑えるかという問題に帰着するのです。たとえば私らも、よいか悪いかわからないがカンで仕事をしておりますね。論理的に一歩、一歩進めずに、もうこれから先はわかっていると思えばやらないというようなやり方をしております。」(中略)

「これからさき、直感とか直覚という問題はもう少し細かく緻密に考えなければならないと思います。東洋人の直感というものを全然捨ててしまって、推理だけで組立てて行くという哲学はやはり駄目でしょうね。だから、何でも彼でも組立てて一歩一歩進んで行くという哲学にしようとすることは出来ないと思います。」

「この直感を学問に応用しながら、また一方では実証主義の立場に立って考えてみると、西洋の学問との間にその方法において相違があると思うのです。」(中略)

「私も、論文の中でよくそれをやりますね。間のステップを抜いてしまって、それはこうなんだということをいってしまうんです。あとでそれが気がとがめるので証拠を集めて、結局私のいった通りだろうというようなことにしますが、それをいわずに済む人もありますが、私は成るべく長い時間かかって証拠で空間を埋めて行こうとしているんです。」

筆者が「柳田國男は非常にカリスマ性の強い人間であり、別の言葉で言えば神がかっている人間であったと思われるし、元来彼は詩人であり、非常に感受性が強く直観を重視するタイプの人間である。」と前述した様に、柳田國男は自分でもそれについては認めている。

「議論を一つしても以前は直覚を結論としてしまって、多弁に任せて理由を造るという風であったのが、これでは自分の計画する職業がやれまいというので、先輩などの注意で始めて数学の初歩を勉強した。中学校を経ないのだからなかなか苦しい。一方には自分で力めて支那人などの議論の本を読んだ。しかし子供の時の癖は恐ろしいもので、今でも静かに物の意見を立てることが不得手である。」

だからと言って、彼が個の確立が出来ていず、論理的にものが考えられない人間だったとは言えない。 強いて言えば、彼にとっては余りにも当然だったので自覚症状が無かったのかも知れない。 誰しも自分より大きな存在は自分の限られた認識の枠内でしか捉える事が出来ず、又逆に 大きな存在からは自分にとっては当たり前の事が普通の人間にはなかなか理解出来ない事が解らないのではないかとも思える一面である。

「自己」或は「個」及び「論理」に対する認識のずれが、柳田國男のと言うよりも柳田國男の生きた時代と現代のずれ或は限界を図らずも括り出した形になったが、今回の試みは論理的に「個」の概念を導き出し、そこから更に踏み込んで、柳田國男が直覚により会得していたものを論理的に哲学的体験により会得しようというものであり、柳田國男が「西洋の学問との間にその方法において相違がある」と言う様な相違を乗り越える事である。 いくら近代文明はロジカルに構築された「個」から「全」への循環システムであると言っても、全ての西洋人がそれを認識しているという訳でもなく、ここから先は世界の個人が抱えている万国共通の課題でもある。 システムに組み込まれていれば、少なくともいちいち意識せずに自然に身に付けられるという程度である事も確かであり、基本を学び取った後は各自ベストを尽くすしかない。

柳田國男は自身でも述懐している様に数学に弱い直観型の人間であり、今の言葉で言えば文系の人間である。 ロジックはどちらかと言うと因数分解の様に数学であり、文系の人間の最も苦手とする部分なのである。 彼はそれを訓練により克服し実証主義を身に付けたのである。

「私は何しろ年を取り、活きる力も残り少なになってから、遅まきに気が付いたのだから容易なことでなく、従ってまた後々の参考にもなるのである。実はもう二十年以上も前から、うすうすこれが心配になり出して、少しずつ知識慾を制限しようと試みた。何でも知っておろうとするような望みはまず棄てて、ただ自分の生活から、必然に起って来る疑問だけに、答を求める方へ力を傾けようとした。ところがそうなるとまた意地悪く、今まで何とも思わなかったものに興味が動き、垣根の外を覗くような好奇心が、際限もなく自分を引っ張り付けて、しまいには生活圏をいびつにしそうなおそれがあった。そこで対策としてまず活き方を単純にし、元来素人であった芸事や勝負事と縁を切り、幾つかの観覧物をを次々に断念して時間を作り、後には気休めの理窟をこしらえていろいろの社交から遠ざかり、一方にはまた職業というものを持たずに、どうにか活きて行かれる工夫をしたのは、相応な辛苦であった。」

自分の感性を信じ知性の裏付けをとって行く姿勢は感性部分が大きければ大きい程並み大抵の努力では出来ない、この大きな感性とのバランスをとる為には知性も同じだけ大きくなければならない。

 

柳田國男は「青年と学問」の中で「漫遊者の記録」と題して俳諧を評してこう述べている。

「けだし俳諧の自分たちを感動せしめる部分は、実は多数の俳人の弄んでいる発句の方には少ない。これに反して俳諧の連句の方は、生憎と表現に無理が多くて難解ではあるが、わかりさえすればことごとく近世生活の実写であり、しかもその約四分の一は、作者自身の旅行の産物であった。四分の一と勘定したのは変であるが、その他の四分の一は家庭の日常経験から、他の四分の一は読書と瞑想から、残りは古文学の口真似であるゆえに、そう言ってみたのである。」

柳田國男が旅行好きなのは自他共に認めるところであり、以前柳田國男が家に居ないで旅行ばかりしていたのは、養子で肩身が狭かったからだと言った人が居たそうだが、 新井喜美夫氏は「「日本」を捨てろ」という本の中で、宮本武蔵と松尾芭蕉をとりあげて以下の様に述べている。

「剣にしても禅にしても、またその他の芸術にしても、いわゆる「道」をきわめるという表現は、このような文化的なもの、精神的なものの神髄は、とても固定された「ムラ社会」の中には存在していないことを示している。」〈中略〉

「ほとんどの大衆が易々諾々として、「ムラ社会」に対する帰属意識しか持ちあわせていなかった時代に、芸術や文化、あるいは兵法や宗教などを通じて、自らの自己実現をこころみたことは、まさに特筆すべきであったろう。」

柳田國男が当然の様に四分の一は旅行、四分の一は読書と瞑想と言う様な生活はなかなか期待出来るものではないが、彼が自然に身に付けたものを分析し科学的に再構築する事により高次の認識を身に付ける努力が凡人である筆者には必要なのかもしれない。

宮原一武氏は前掲の本の中で以下の様に述べている。

「一日の労働時間が五―六時間と想定される新しい文明においては、子供も大人も、より多くの自由時間をもつことになるだろう。その場合、所得水準は低下するであろうから、資源やエネルギーを大量に消費しないで、自由時間を過ごすというライフ・スタイルにかわる可能性が大きい。昔のように、のんびり、ゆっくりした生活である。それはたとえば、中世ヨーロッパにおける修道院の生活のような要素が、庶民の生活の中に普及することである。あるいは、座禅を組み、瞑想の時間を大切にすると同時に、質素な生活につとめる禅寺のようなライフ・スタイルが一般の家庭にも受け入れられることである。」

この様に高次の認識を得る為には、ある程度自分を外界から遮断して自己に沈潜する必要がある事は理解出来るし、宮原氏の言う様にエコロジカルな生活が極自然に上記の様なライフスタイルを余儀無くさせるかも知れないが、この情報が氾濫する世の中で、禅寺または修道院、座禅或いは瞑想がというと、筆者の場合は趣味というよりも追い込まれている感じなので、この「市中の山居」的な、遊戯、遊山、三昧的な発想は共感は覚えるが今一つ納得が行かない。 ここまで考えると筆者は、かつて別宮貞徳氏が「『あそびの』哲学」 の最後に太字でお書きになった、「あなたはほんとうの自由に耐えられるか?」という言葉を思い出さざるを得ないのである。 一時、「余暇の時代から本暇の時代へ」という言葉を耳にする時期もあったが、世俗世界の荒波を逃れて、聖なる世界、或いは、内なる世界を求める、という事は充分考えられるが、労働時間の短縮だけで、果たして人間が、内面の世界を追求し始めるかは、甚だ疑問である。

カール・レヴィット氏も、前掲の書の中で、

「絶え間なき危機を通しての前進、科学的精神、決然たる思考と行為、不愉快なことでも直截に原表すること、(他人を論理的)帰結の前に引きすえたり、みずから(論理的)帰結を引き出したりすること」

と、はっきりと述べている様に、人は外界との摩擦、軋轢、確執により、外に向かう途が断たれた時に、内に向かうものなのである。

何度も言うようだが、ポスト・モダンはモダンがあって初めて言えるのであって、先ず近代文明の仕組を充分理解し、神の概念に至る迄全ての超越した概念をロジカルに再構築出来るのが現代に生きる人間であり、今回の試みも頭の中を一度原初の姿に戻して絡み合った情報を再構築する事なのである。 聖と俗が未分離と言う事は別の言葉で言えば、思考回路が短絡しているとも言えるのである。 個人が覚醒して、「個」から「全」へ循環するシステムを理解し、マクロ・コスモスと直結して初めてオンラインになるのであって、ここ迄して初めて個が確立された社会が形成されるのである。 その方法は基本的に内省しかない。 思考回路に善及び美を統御する真理探究姿勢が生まれて初めて回路は宇宙と直結出来るのである。 内省こそがオンラインの為のユニバーサル・プロトコルなのである。

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