『ワンネス』からヘーゲル一元論への奇跡
予備知識が無いうちに、自分は何が不満で停滞してるのか書き留めておこうと1992年に名刺代わりに刷って配っていた小冊子『ワンネス』の結論も一元論だったし、26年後にに完成した近代文明(洋魂洋才=魂才一致)の図解が図らずもヘーゲルの一元論に一致して回帰したことは俺にとっては奇跡みたいなものだし、俺が所謂失われた30年に得たものは大きい。
デカルトの二元論もヘーゲルの一元論あってのもの、
無神論も有神論あってのもの、
マルキシズムも普遍主義のアンチテーゼ。
2023年9月18日に記す、栁田芳秋
右も左も普遍主義を拒絶しているなかで考える
ある日朝起きたらTLが荒れに荒れていた、
だから言っただろ、日本が生き残るには憲法前文の人類普遍の原理を学んで理解するっきゃないんだって!
まあ良いだろう、日本人が抹殺されるのを選んだんだから、
一生に一度くらい意地を張るのも!
良くないよ転向か自裁の二分法、オールオアナンはっ!
と呟いてはみたものの、
自虐か美化の二分法、全面勝利か玉砕の二分法、
このまま意地を張り続ければアメリカに抹殺されるのは目に見えている、日本の社会は遅々として進化しないが、輸入の学説はお構いなしにどんどん前に進む、それに疑問すら抱かない日本の学者連中!
近代文明ひいては科学が普遍主義で構築されている以上それを避けて通ることはできない、日本人に唯一残された道は憲法前文の人類普遍の原理を学び理解することだけである!
これが俺の所謂、日本人は右も左も普遍主義を拒絶しているのでリベウヨの概念すらないってことだよ!
日本人はイラク、アフガンと一緒で要らない自由をアメリカに押し付けられた被害国なのだよ!
聖俗一致のイスラムと聖俗未分離の日本は自由より寧ろ秩序を好み普遍主義を拒絶いう点で似ているのだよ!ジャニーズなんてどうでも良いが、
大事なのは憲法学者の小林節、木村草太を含む日本人の誰一人として、憲法前文の人類普遍の原理について言及しないことだよ!
日本では右も左も普遍主義は拒絶していることです、
日本にリベウヨの概念がないのはこのためです、
それでいて、人権(自由・平等・博愛)だけは欲しいとは言うのは虫が良すぎるのです!普遍主義を拒絶して残る統一規範は右傾化か左傾化しかない、いずれにせよ自由はない、天皇制のある日本は右傾化しかない。
ファッショとパヨクしか選択肢がない社会でどう生きろっていうのさ、
それこそが、美化と自虐の二分法、全面勝利か玉砕の二分法、オールオアナンじゃないの?宗教と科学のせめぎ合いとか社会学バッシングだとか
全ては独自の学問体系を築けないで輸入の学問を利用する日本の特異体質である。
柳田國男が綜合なき学術で、綜合を政治と結論づけた位日本には哲学が欠如するのだ、勿論宗教学は哲学に位置する、行き着くところが海外の文献に頼る他はない、ところがその海外の学説は日本のような前近代、中世未開の社会には対応していない、全てデカルト以降の社会に対応しているのだ、
日本は近代化から参入しているので文明化の知識がスッポリと抜けているというのはこのことだ、
結局近代文明ひいては科学を構築しているのが普遍主義である事実に行き着くのだ、ところが日本人はその普遍主義についての知識が欠如しているのである、
これがエンドレステープ状態の不毛な議論、堂々巡りの始まりである。
これが俺が先ずは憲法前文の人類普遍の原理を学んで理解することだと執拗に言い続ける所以である。それにしても日本人の学者さん達は自分らが振り翳している学説は全て輸入もので、前近代、中世未開の日本の社会には通用しないということを知ってるのか疑問だ!
日本は近代化(デカルト以降、科学が既にあった時代)から参入しているのでデカルト以前の知識がカラキシなんだよ!
俺はこの時点で完全思考停止したままなのだよ、
俺が図解した近代文明の仕組みに対する、対案が出て来るのを!
近代文明が西洋文明だと言う事実を受け入れられない日本人、
近代文明ひいては科学を構築している普遍主義を避けて通ろうとしている学者さん達の答えを待っているのだよ!日本の正体見たり
結局は1940年の日独伊三国同盟の時とちっとも変わっちゃいないってことです!ヒットラー ムッソリーニ
近衛文麿 松岡洋右
麻生
岸田ファッショの国日本!
ネットウヨかパヨクか、
転向か自裁か、
美化か自虐か、
全面勝利か玉砕かの二分法、
オールオアナンの国日本!
何故オールオアナンか、
日本には個(一)の概念がないからだ、
逆に西欧には無の概念がない、結局神が世界を創ったのがスタートだからである、「私は在るものである」なのだよ!
俺が公私混同ならぬ個私混同と呼んでいるが、
日本人は個=私と勘違いしている人が多い、
個=individual=indivisible=不可分業
だからtake care of yourselfなんだよ、
気をつけてなんて誰も言っていない、
てめえの面倒はてめえで看ろやと言ってるのだ!結局日本人は普遍主義を鼻から拒絶してるので、俺が何言おうと興味を示さないのさ、
近代文明は全能性の追求を目的に、普遍性の追求を手段にした、個(一)から全への思考の循環システムであるなんて言っても、
ありもしない普遍だ絶対だ、ドイツの観念論だとフランス人のドイツ人嫌いの尻馬に乗ってヘーゲルの一元論さえ否定してしまうのだ、 俺がデカルトの二元論もヘーゲルの一元論があってのものと言う所以である。
その上、カントが始めてヘーゲルが完成させたと言われているプラトン思想の復興運動が所謂イタリアルネサンスの哲学ネオプラトニズムであり、同時にフリーメイソンの哲学で、フランス革命、アメリカ建国ひいては日本の新憲法に大きな影響を与えたことすら知らないのだよ!
有名な社会学者でさえ、日本の個と西欧の個は違うのだ、相手は12世紀からやってるのだ、日本の世間を無くすのは不可能だと言ってしまうのだ、
それは世俗化の過程を経ていないから社会が聖俗未分離だからだと言おうものなら、日本の聖は西欧の聖とは違うとお得意の遅れじゃなくて違いで処理しようとする悪い癖がでるのだよ!
それが俺の所謂、
相対化できないから、
自分だけは常に特殊で例外、
日本の常識は世界の非常識になって現れるのだよ!
相対化できないから拡散する一方で収斂に持ち込めない日本人!
その結果が、
聖俗未分離、政教未分離の極地、宗教犯と政治犯が分離していない確信犯集団、統一教会カルト、創価学会カルト、日本会議カルトに政府を牛耳られた、前近代中世未開国家、オカルトファッショ国家に成り下がった日本なのだよ!
普遍性追求姿勢の欠如が日本を滅ぼす
『ワンネス』からヘーゲル一元論への奇跡
予備知識が無いうちに、自分は何が不満で停滞してるのか書き留めておこうと1992年に名刺が割りに刷って配っていた小冊子『ワンネス』の結論も一元論だったし、26年後にに完成した近代文明(洋魂洋才=魂才一致)の図解が図らずもヘーゲルの一元論に一致して回帰したことは俺にとっては奇跡みたいなものだし、俺が所謂失われた30年に得たものは大きい!。
デカルトの二元論もヘーゲルの一元論あってのもの、
無神論も有神論あってのもの、
マルキシズムも普遍主義のアンチテーゼ。
2023年9月18日に記す、栁田芳秋
哲学とは自分で考える事であり、科学とは知る事である。
目的は全能性の追求であり、手段は普遍性の追求である。
普遍性の追求をすれば自ずと同じ所に行き着く。
相対化し尽くせば回帰する。
それが自然の摂理というものである。
結論は出ている、日本人に残された手段は、憲法前文に謳われている「人類普遍の原理」を学ぶ以外にない。
何故無理なのか、それは日本人の普遍性追求姿勢の欠如にある、詰まり相対化不足である、従って自分では考え付かないのだ。
日本人は自由よりも寧ろ秩序を好む点でイスラム社会と似ている。
聖俗一致で普遍主義を拒絶するイスラム、聖俗未分離で普遍主義を拒絶する日本。
西欧=キリスト教と短絡して普遍主義を拒絶する。
その為、近代化の際、アンチテーゼ(マルキシズム)から導入して、テーゼである普遍主義を学ぶ機会を逸したのである。
これこそがまさに聖徳太子以来の御都合主義、良いとこどりならぬ、都合の良いとこどりである。
憲法の前文に「人類普遍の原理に基く」と謳っているにも関わらず、リベウヨの概念がない、異常である、日本人はそれに気付きもしない。
聖俗未分離、正教未分離の極致、宗教犯と政治犯が分離していない確信犯集団、日本会議カルトに政府を牛耳られていてもそれが未開の象徴とすら気付かない日本人、異常である。
日本人は全てという全てが間違っている、全てが似非なのだ。
未開状態を遅れと認めず違いで処理しているだけである。
結局日本人は毎日言葉のお遊びをしているだけに過ぎない。
それもその筈、日本語は元々歌を詠む為にあるのだ。
一億総ポエマーの日本人。
2021年2月22日に記す、栁田芳秋
統一規範としての人類普遍の原理
今まで日本にはリベウヨの概念が欠如する、統一規範が欠如すると些か短絡的に結論づけてきたが、憲法前文の人類普遍の原理がuniversal principle of mankindともいうことだし、削除される前に統一規範としての人類普遍の原理を考えてみたい!
呼称の問題ではあるものの実に重要な問題でもある。
結局日本人が人類普遍の原理を統一規範と認める以前に、人類普遍の原理そのものを理解していないのである。
日本人は理解する機会すら与えられずに拒絶してしまっているとも言えるのである。
改憲の兆しが色濃くなってきているのは明らかであるので、早急に問題点をまとめるのは必須である。
2022年12月18日に記す、栁田芳秋
今回ヘーゲルの考え方がネオプラトニズムをベースに
していた事が判明して、俺は目から鱗だった、
詰まりヘーゲルも哲学者だから当然とは言え、
自然の摂理を追求していただけなのだ。
これで俺の30年来の全ての疑問がが回帰したとも言える、
矢張り歴史をルネサンスまで遡って
近代文明の淵源を探るという事が必須だという事だよ。
ワンネスに始まりワンネスに終わった普遍性追求の旅
和魂洋才の捩れを取り除くDAVINCI in SYDNEY
The reason why I left Japan
日本人に必要なのは理念と実践である。
人生がセオリーでありセオリーが人生でもある、
俺は只日本人の文明化を体現しているに過ぎない、
我が人生に悔いはなし、只々女房に感謝するのみ。